伊東正次:作品紹介


伊東正次の襖絵とミュージシャンたちとの出会い2020.3

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「月下富士山図屏風」

2020年8月 京王プラザホテル 展示

作品紹介


 

楓図 Maple  「楓図(子延川の楓)」210×440cm

 2019(大手町クニエ本社ロビー)

 

この作品は日本画で描かれているが、洋画が画面のリアルさを追求し、均一な画面処理を心がけたのに比べて、日本画はより装飾的な画面を目指した。その為に、洋画に比べて、それぞれの素材を活かすことを心がけている。

岩絵の具、金箔、和紙、それに毛筆の筆致などを多用し、より装飾的な美しさを表現している。

 

 たとえば、緋色の岩絵の具のザラザラとした質感は宝石を砕いたようなキラキラ感が。和紙は楮と三椏と麻をの原料を混ぜて作られた和紙を用いた。また、背景には金箔を用い、砂子という漆工芸などに使われる技法で細かく撒くようにしてより空間的に仕上げた。それぞれの素材の質感を最大限に生かし表現する。その辺りは、日本料理や着物などにも通じる日本の伝統的な文化だと言えるかもしれない。三重県伊賀市に子延川を遡ったところに樹齢400年と言われる楓の老木がある。幹回りも相当に太いのですが、四方に大きく枝を広げている姿も優美の一言に尽きる。ただ、この楓、樹の美しさのみならず、根元に大きな岩を抱えるように立っている姿も圧巻だ。さらに、足元には子延川の清流が流れ、樹と岩と水が美しい景色を形作っている。その優美な楓に、二羽のルリビタキが配した。真っ赤に紅葉する楓と瑠璃の色をした小鳥の色の対比を楽しんでいただければ。


 

 

滝桜図 Cherry Blossoms

「滝桜図(三春の滝桜)」  202×945cm

1999(名古屋陶磁器会館にて)

 

僕の画業人生あと30年として、桜、椿、藤、梅、欅、杉、山毛欅、椎、銀杏、伊吹、楓、岩などなど描きたい画題はいっぱいある。それに、それらのある風景など合わせると、一つの樹種で、数点描いたとしてもすぐに数十点もの作品のイメージができてしまう。そうなると、桜なら、あそこと、ここと、梅ならあそこと、ここと、ここと。そう言っている間にも、他に描きたい画題が次から次へと生まれてくる。雲も山も仏様も・・・・。

僕の頭の中に浮かぶイメージを全て描ききれそうにもない。「芸は長く人生は短し。」でも、身体が動く間は描いてゆこう。50歳を超えた頃からそう思うようになった。まだまだこれからだ。

 

この作品は銀座松坂屋で3年間展覧会を行った最後の年に出品した襖絵だ。最初の年に正面からぶつかるつもりで「岩」を描き、2年目に少し奇をてらって「仙人掌」を描き。3年目、最後の年には、やはり日本画と言えば「桜」。日本画の王道でもあるし、日本人の心に焼き付いている映像としての「桜」を描いてみることにした。この時期に描いた僕の作品の中でも、特に渾身の力を込めて描いた作品だ。よく、「この絵はどうやって描いたのですか。」と聞かれることがあるが、どうやって描いたか覚えていないことが時々ある。特に、この作品は、どうやって描いたか思い出そうとしても、あまり思い出す事ができない。たぶん、無我夢中だったんだろうと思う


 

 

鷹図 Pine 

「松鷹図(宝珠寺の松)」  202×1040cm  

2000(名古屋陶磁器会館にて)

 

巨樹を巡り歩くようになって20年近くだが、その間、名だたる松の古木や美しい松林が次々と失われていった。それらの直接的な原因は、松食い虫によるものが多いとされているが、ただ、なぜ、近年その猛威をふるうようになったのか。排ガスの影響も指摘されている。

 

 松は、他の植物では生息できないような、水の不足した海岸の砂地や、岸壁の岩場のような土のない場所にも適応し育つことから、「逆境にめげず、力強く成長するシンボル」として、古来、愛でられてきた。そんな「松」でさえ、環境汚染には立ち向かえないのかもしれない。

 

 自身も、そういう、逆境に立ち向かう強さと同時に、うねうねと伸びる枝に他人事として思えない、性格の悪さと、あのとげとげした葉の意地悪そうな感じや、線で光を受ける光合成の効率の悪さなど、それでいて、のびのびとした力強さも感じて、たくさん観てきた。この作品も、そんな思いで描いてみた。

 

 30代半ばくらいから、全国あちらこちらのすばらしい樹や花があると聞くと、出かけていってそれらをスケッチしたり、写真に収めたりしてきた。それらの樹や花はそれぞれに魅力的で個性を持っていた。でも、描くとなると限られてくる。まずは平面上に移し替えた時に魅力的かどうか。これは、そのものが持っている魅力とはまた違う。美しい花だから、描くと美しくなるとは限らない。逆に、本物はそんなに魅力がなくても、平面に置き換えると魅力的なものもある。あるいは、もっと現実的にはスケッチできる場所であるかどうか。いくら素晴らしくても、スケッチ道具を抱えて歩ける範囲でないと難しい。また、それらをクリアーしても、描けるのは限られている。たくさんある樹木や花の中か僕が描いたのはほんの一握りだ。ほんの一握りのほんの一面を描いたにすぎない。

 


 

 

藤花図 Wisteria 

「藤花図(大久野の藤)」  180×720cm  2015(名古屋陶磁器会館にて)

 

東京都日の出町大久野というところに古い藤の樹がある。通常、藤の樹は花を愛でるために、人工的に棚が作られたものが多いのだが、この樹は野生で大きくなった樹のため、真ん中にアラカシと杉の樹を抱き込んだまま成長しる。抱き込まれた杉とアラカシは藤の大きなツルによって強く締め付けられ、成長とともに、そのツルを食いこませて

苦しそうだ。

何時間もスケッチをしながら、ふと気がつくと、廻りの地面のあちらこちらから、藤のツルが何十本と突き出ていて、別種の樹に巻き付きながら、上へ上へと枝を伸ばしている。藤の葉や花は、それらの樹をつたって、最上部まで上り詰め、そこで元の樹が受ける光を奪うように生い茂っている。そんな中にいると、一つの生命体が分離して地面からわき上がり、僕自身がそれらにとり囲まれているような恐怖を感じる。一見する藤の美しい花のたたずまいと、同時に他の樹種に寄生して育つ生命力のどん欲な逞しさと、それは対照的でもあり、それらの二面性を描ければと思う。

 

何千年と生きている樹を前にスケッチをしていると、人間ってなんてちっぽけな存在だろうと思う。その意味では、地球上の生命体の中で最長寿の生き物から受け取るメッセージは大きい。しかし、逆に、桜や藤を見ていると、その樹から毎年、一斉に咲いて散る花の儚さから比べれば、人間はなんてしぶとい生き物だろうとも思う。 ふと、足下に目を落とせば、たくさんの雑草が生えていて、それぞれに、美しい形と色をしている。どんな雑草であれ、生きるということはある合理性と機能美を備え、かつ、美しい命の輝きを放っている。植物ばかりではない。土や石だって、長い年月に作られた生命と言えないだろうか。それらをじっと見ていると人と同じように愛おしいと感じる。いや、もしかしたら、人そのものを見ているのかもしれない。

僕が出来ることは、その輝きを損なわないで、人々の前に提示することだ。僕の芸はそれ以上でもそれ以下でもない。

 


 

 

岩上独猿図 A monkey on the rock

「岩上独猿図」180×810cm 1995

 

僕にとって絵を描く事は、本当に地味な作業の積み重ねだ。まず、題材を見つけ取材とスケッチをし、構想を温める。数日の時もあるし、数年のこともある。構想が決まると描き始める。僕の場合、描く時は一日中描き続け、疲れたら寝て、起きたらまた描くという感じだ。

 

概ね、出来上がったところで、一旦筆を置き、しばらく絵を眺める。没入していた時期から今度はクールダウンして、冷静に自分の絵を眺める期間が必要なんだろう。最後にもう一度描き込んで仕上げる。でも、これで終わる訳ではない。作品に命が宿るかどうか。宿る事もあるし、宿らないこともある。どこでどう間違えたのか。また直す。うまくいかない。振返る。また直す。その連続だ。

「こうやってこうやれば絵ができますよ」という事はない。いつまでたっても試行錯誤の連続だ。

 


 

 

Butterflies and cactus蝶舞仙人掌図

 「蝶舞仙人掌図」 180×640cm  

1996(赤沢宿清水屋)

 

右半分が若い勢いのある「仙人掌」。左に年老いて古木になった「仙人掌」を描いていたが、加筆の際に、若い「仙人掌」に若い「蝶」が乱舞する様子を描き入れ、年老いた「仙人掌」には、一匹の老齢の「蝶」が羽を休める姿を描き入れた。今回の展示では、その二つを繋げて、時間が循環するようなイメージで八角形状に展示してみた。この「仙人掌」はトルコで取材したものをもとに描いた。日本では「サボテン」は可愛い形状で人気だが、彼の地で見た「仙人掌」は、まさに増殖して所狭しと生い茂るエネルギーに満ちあふれていた。

そんな、空間を埋め尽くすように生い茂る様子を感じていただければ。

 


 

 

「岩上独猿図」 A monkey on the rock   

F150 227cm×182cm 2010

 

若い頃、久万高原町の落出あたりに、良くスケッチに出かけた。川の真ん中に大きな岩がごろごろと落ちている様子が面白くて1週間も通って描いていた。スケッチに疲れると、岩の上に寝っ転がるのだが、岩の表面って、一見硬そうだが身体とピッタリと、はまると気持ちのいいものだ。ふっと空を見上げながら昼寝をするのが楽しみで。そんな岩をずっと見ていると、時間が止まっているような感じだった。

 

息子が小学生くらいの頃、愛媛に帰省した夏休み、子どもたちを連れて久万川や面河川に遊びに行った。そんな時に、岩の上で遊ぶ子どもの姿から猿をイメージしたり、あるいは、自分自身の姿を猿にダブらせていたのかもしれない。

猿と岩と月と・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「老椿図」  camellia 

M150 227cm×145cm 

2007 愛媛県美術館所蔵

 

この椿は何度か描いているが、この一点が愛媛県美術館に所蔵されている。今日は他の老椿図について述べたい。その作品は北海道の置戸町の「置戸ぽっぽ絵画館」に所蔵されている。別名「寄贈美術館」。ある画家が「無名の画家は全国に多数おり、その人たちの優れた作品がたくさんあるにも関わらず、日の目を見ないまま散逸して残念」と新聞に投稿したのをきっかけにできた美術館である。置戸町の廃線になった線路の駅舎を改装して開かれた。

 

展示されているのが寄贈作品のみという美術館は全国でも珍しいと思う。 有名な画家の絵が法外な高額で購入され、税金の無駄使いとして問題になるケースは多々あった。

 

有名画家の作品ではないが、すばらしい絵はたくさんある。質の高い作家と、志を持った自治体や美術関係者が協力して、みんなで知恵を出し合えば、すばらしい美術館ができるという好例ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

  

 


 

 

「枯松図」 Withered pine    

P150 227cm×162cm 2015

 

 

山中でこの松を見たときは感動した。誰も訪れない小さな山の山頂に立っているのだが、松食い虫のせいだろう。枯死している。だが、枯れて葉っぱはおろか、枝もほとんどなくなっていながら、なお威厳を保ち天に向けて屹立している。壮絶な死。数年して、ここを訪れた時には、その体を地面に横たえ、まさに倒壊していた。誰も来ない山中で僕にスケッチされるのを待っていたのか。その威厳は僕の絵の中で生き続けて欲しいと願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「樹根上飛群烏図」 Crows above the root 

F120 194cm×130cm 2011

 

 

 20113月 東日本大災害が起こった。地震と津波の自然災害だけでなく、原発の事故という未曾有の大災害の前に、僕自身も、また我が家も大きく生活や生きるということの意味を考えざるを得なかった。

 

 それから2ヶ月くらいは絵を描くということができなかった。原発事故の影響を考えると、東京に住み続けることができるのか。あるいは、震災の被害のあったみなさんに何ができるのか、そんなことを考える毎日だった。そんな中で、「今できることは何か。」考えて得た結論は、「描くこと」だった。そんな切迫した気持ちで描いたのが、この作品である。右往左往して舞い飛ぶ烏も自分自身だったし、その真ん中で、それらを見上げ佇む烏もまた自分だったのかもしれない。この絵をみると、その時の自分がまざまざと蘇る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「藤花図(大久野の藤からイメージして)

Japanese wisteria 

 

130cm×227cm  

2007 愛媛県美術館所蔵

 

この藤は東京都日の出町大久野というところにある藤の樹だが、野生で大きくなった樹なので、真ん中にアラカシと杉の樹を抱き込んで生長している。巻き付かれた杉やカシたちは締め上げられ、成長とともに、幹にフジの枝を食いこませて苦しそうだ。実際に、藤の葉や花は、それらの樹をつたって、最上部まで上り詰め、そこで元の樹が受ける光を奪うように生い茂りる。

 

 半日も座り込んでスケッチをしていると、ふと気がつく。廻りの地面のあちらこちらから、何十本と藤の枝が突き出して、別種の樹に巻き付きながら、上へ上へと枝を伸ばしている。一つの生命体が地面からわき上がり囲まれているような恐怖を感じる。一見する藤の美しい花のたたずまいと、同時に他の樹種に寄生して育つ生命力のどん欲な逞しさと、そんな姿が描けたらと思う。

 


 

 

「天子の欅図」 Japanese zelkova 130×194cm 2009

 

「天子のケヤキ」、あるいは「天司のケヤキ」と呼ばれているこの欅はキリスト教との関係が深い樹である。一説には「バテレンさんのケヤキ」とも呼ばれていたそうである。

 

根本には観音様のような像が祀られているが、よくよく見ると西洋的な像のようにも見える。石田明夫氏によると、会津とキリスト教の関係は「1590年から1627年まで会津

 

2度支配した蒲生氏、蒲生前期の蒲生氏郷・秀行と蒲生後期の秀行・忠郷の時代は、切支丹信仰が盛んでした。会津若松市内には現在3ヶ所の教会跡が残されています。その後、加藤嘉明・明成の弾圧で切支丹信者は一掃され、江戸時代はごく一部の隠れ切支丹しかいませんでした。」とのことらしい。

 

大きな樹のうろの中が祭壇のようにも見え、観音像のように見えるこの像を隠れキリシタンたちがマリア像として礼拝していたのではと、つい夢想してしまう。ただ、この場所は、当時の猪苗代城の外堀の内側にあり、キリスト教の礼拝所が建っていた場所であるということを鑑みれば、必ずしも民衆との関連は少ないかもしれない。つい、会津という土地柄が、江戸初期から半ばにかけての切支丹弾圧や、明治政府との戦いに敗れる会津藩の受難の歴史を重ねてしまうのかもしれない。

 

ちょうど訪れた時、半分朽ちかけた欅の大きなうろの前に八重の水仙が咲き誇り、脇には山吹と椿が、それらの樹と像にまつわる風景を美しく彩っていた。

小高く盛り上がる盛り土の上に立つ欅の樹と花の佇まい、それ自体が、自然の祭壇か教会であるかのように見えた。

 


 

 

「大楠図(生樹の御門)」 Japanese zelkova        

F150(182cm×227cm) 2013愛媛県美術館所蔵 

 

訪れたのは、8月中旬、夏の一番暑い盛りだ。特にその年は猛暑で、水分補給のための500ミリのペットボトルを2本買って行ったが、あっという間になくなった。島独特の山肌があらわな岩山と、そのてっぺんから立ち上る夏の入道雲を遠くに見ながら歩く。人がすれ違うのが精一杯という狭い歩道を歩くと、脇の民家に白いユリが数本咲いてる。そばには、使われなくなって数十年は過ぎているだろうと思われる古い井戸と、くたびれたバケツやロープの類い。それを見るともなく見ていると、蝶が1頭、僕の頭をかすめるように飛んでいった。また、しばし歩いてみかん畑を抜けると、その先に大きな楠の樹がある。「生樹(いきき)の御門」である。

 

その名の通り、楠の樹自体が生きたまま、お寺への参道の門となっている。少しだけかがむようにして、樹の根っこの下をくぐり抜けると中宮寺という小さなお寺がある。どこといって特徴のない小さなお堂、壁には掃除の時に置き忘れたのか、ぞんざいに竹箒が立てかけられている。 狭い境内には落ち葉がそこここに散らばり、雑草が風に揺れている。座って蝉の鳴き声を聴きながらスケッチをしていると、今はいつの時代なのか。木の根元に落ちているワンカップ大関の空き瓶を見つけて我に還る。

 

帰り際に木の葉っぱを仔細に見ていると、あちらこちらに蝉の抜け殻がぶら下がっていた。猛暑の夏ももう終わりに近づいている。島の温泉で汗を流し、外へ出てみると、空と海が真っ赤な夕日で染まっていた。

 


 

 

「野仏図」  Buddha in the field  

F150(182cm×227cm)  

2016  愛媛県美術館所蔵

 

薄暗い山道を駆け足で降りてゆく。僕は何か考え事をしていたんだろう。

突然、目の前の光溜まりに目を奪われ、思わず声をあげる。数頭のチョウが、まるで、光溜まりの分身であるかのように舞い出る。 羅漢さんは、それらの出来事に無関心なのか、ただ佇んでいる。 僕はそっと手を合わせて立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「老椿図」 Camellia  

117cm×117cm 2006

 


 

 

 

「老樹岩の如くなりても、可憐な花を咲かせ給う(神代桜)

Cherry tree 117cm×117cm 2003

 


 

 

「洞杉図」Cedar   

227cm×360cm  2009

 

高速道路を走って魚津に。そこから山に入っていく。それま で一般には公開されていなかったというだ けあってかなり奥深いが、近くまで行くと樹 の周りはきちんと木道が整備されている。そ して、噂通りというか、情報通りというか、 見る杉見る杉、すべて根元に大きな石がはま っているのだ。「なぜ......???」。  しばらくスケッチしたり写真を撮ったり していると、たまたま作業服の男性が通りか かったので尋ねてみる。どうやら地元の行政 関係の人らしい。 「なんでこのあたりの杉はみんな大岩を抱え てるんでしょうか」。 

 するとその人曰く「このあたりは急峻な斜 面だから、大岩を抱えていない樹は山水や台 風、崖崩れなどで流されてしまい、岩を抱え ている樹だけが残ったということらしいの です。大岩の上に根を降ろした杉の赤ちゃん は、岩の表面に結露した露を吸って生長し、 長い年月をかけてあのような姿になったと 考えられます」。

 

確かに、大岩の上で発芽した小さな苗は数 十年、あるいは数百年間、土まで到達するま でに時間がかかったはず。数センチ足らずの 苗が、数メートルもある岩の上で、露から水 分を吸収しながら、ちょっとずつ、ちょっと ずつ育つというのは、なんと気の長い話だろ う。  一本一本、すべての樹の姿を描くなんて、 できるわけないけれど、その気の遠くなるよ うな長い時間の一端を描ければと思いなが ら筆を走らせた。  自然は凄い。つくづくそう思う。

 


 

 

「野菜涅槃図」Vegetables  

 

146cm×67cm 2014