代表的な日本画家


 竹内栖鳳(たけうちせいほう)

京都の小料理屋に生まれた日本画家。近代日本画の祖といわれ、伝統的な日本画のモチーフであった日本の風光明媚な四季の景色や風物だけにとらわれず、ライオンや象などの舶来の動物、犬猫などの身近な生き物も描きました。

 

竹内栖鳳の画力はそのリアリズムに象徴され、画面から獣のにおいや毛並みの柔らかさが感じられるような生々しくも繊細な作風が特徴です。作品のポイントは、四条派という日本画の流派をベースにしながらも、狩野派や西洋絵画の写実的な要素も取り入れたこと。戦前の京都画壇の名画家として、「東の横山大観、西の竹内栖鳳」と呼ばれる日本画の巨匠です。

 

「班猫」1924

同作は、国の重要文化財にも指定されています。

 


 下村観山(しもむらかんざん)

和歌山に生まれ、東京や茨城で活躍した明治〜昭和初期の日本画家です。

近代日本画の父と呼ばれた狩野派最後の画家・狩野芳崖などに師事し、伝統的な日本画から写実的な描写や空間表現などを取り入れた新しい日本画までを学びました。

 

1887年に創立された官立の東京美術学校(後の東京藝術大学)の第1期生として、横山大観らとともに在籍し、下村観山は卒業後すぐに助教授に抜擢され後進の指導にあたります。美術評論家の岡倉天心らとともに1898年、美術団体・日本美術院を設立。

 

「弱法師」1915

悟りの境地を主題にこの作品を描いたといわれ、

重要文化財に指定

 


 川合玉堂(かわいぎょくどう)

日本の自然を愛し、日本画のモチーフとした愛知県生まれの画家です。

円山・四条派、狩野派などの画家に師事し、それぞれの流派を融合した作風で日本の山河や四季折々の風景を描きました。川合玉堂の描く自然美は写実的かつ趣きに富み、その作品はフランス、イタリア、ドイツなどでも高く評価されています。

 

俳句や詩作にも親しみ、歌集も刊行するなど、文化的素養に優れた人物であったことも知られています。

東京美術学校の教授も務め、1940年には文化勲章を受賞。

 

「彩雨」1940

皇紀2600年奉祝という一大イベントに合わせて制作された作品で、川合玉堂の代表作の一つ

 


 鏑木清方(かぶらききよかた)

東京出身の浮世絵師・日本画家。

浮世絵師で日本画家の水野年方に師事し、ジャーナリストで人情本(庶民の恋愛を描く大衆小説)の作家でもある父親のもと、鏑木清方は17歳の頃から挿し絵画家として活躍しました。やがて美人画や風俗画の大作を描くようになった鏑木清方は、作家の泉鏡花などの挿絵も手がけながら、生涯にわたって人物画を描き続けました。明治、大正、昭和という激動の時代を生きながら、江戸時代から続く東京の「粋」の文化を軸に、人々の生活や心の機微を映し出すような近代的な美人画作品を残した。

 

 

「築地明石町」1927

気品と色香の両方を兼ね備えた絶妙なバランス感覚と美しさで鏑木清方の代表作の一つ

 


菱田春草(ひしだしゅんそう)

横山大観、下村観山などと並ぶ明治時代の近代日本画の巨匠です。

腎臓病のため37歳の若さでこの世を去った菱田春草は、昭和の時代を生きることはありませんでしたが、日本画にさまざまな技法や表現を導入し革新を起こした人物のひとりです。

長野県に生まれ、横山大観らに1年遅れて東京美術学校に入学し、岡倉天心から強い影響を受けました。インド、アメリカ、ヨーロッパを周遊し見聞を広め、日本の自然、動物、仏教などをモチーフにした作品を数多く遺し、穏やかな色彩と繊細な描写が特徴です。

 

「王昭君」1902

漢王室の後宮(ハーレム)にいた王昭君が、匈奴に婚姻のために送り出される出立のシーン

 


 横山大観(よこやまたいかん)

現在の茨城県水戸市出身の日本画家。

「朦朧体」といわれる独特の技法を確立した人物で、近代日本画の巨匠として海外でも高い評価を誇ります。日本美術学校の一期生として下村観山などとともに学び、後に日本美術院の創立にも関わりました。しかし、日本国内で横山大観らによる日本画と西洋技法の融和に対する拒絶反応が強かったことから、海外へ目を向け、学業や英語にも優れていた大観はインドとアメリカで相次いで展覧会を開催。

 

これが良い評判を得たことからヨーロッパへ渡り、ロンドン、ベルリン、パリなどアートの中心地でも展覧会を開き、海外での高評価が逆輸入される形で日本でも徐々に認められるようになりました。

 

「屈原」1898

風になびく腰紐や着物の裾、木々のざわめきなど、不穏な空気を感じさせる描写


 伊東深水(いとうしんすい) 

大正から昭和にかけて活躍した東京出身の浮世絵師で、日本画家、版画家です。

浮世絵の正統派、歌川派を継ぐ人気絵師として多くの美人画を残したことで知られ、女優・朝丘雪路の父親でもあります。1911年に14歳で鏑木清方に師事し、夜間学校での勉強と並行して日本画を学び、15歳で巽画会展入選という快挙を果たすなど、早くから絵画の才能を発揮します。

新聞の挿絵画家としても活躍したほか、伊東深水の美人画は非常に人気が高く、複製版画としても出回りました。

 

「吹雪」1947

傘美人」と呼ばれる美人画シリーズを複数描いており、「吹雪」は代表的作品

 


 上村松園(うえむらしょうえん)

京都生まれの女流日本画家。

女性として、初めて文化勲章を受賞した人でもあります。清澄で気品ある美人画を、女性の目線を通して描き続けました。明治生まれの女性にとって画家を志すのは非常に難しいことでしたが、女手ひとつで子供を育てた母のサポートもあり、日本画家として大成し、帝国芸術院の会員にもなりました。

 

「序の舞」1936

代表作としても名高い同作は、1965年に記念切手の図案にも採用

 


 速水御舟(はやみぎょしゅう)

明治時代の東京・浅草に生まれ、大正から昭和にかけて活躍した日本画家です。

40歳という若さで病気のため亡くなりましたが、残した名作は多く、重要文化財に指定されているものもあります。

作風は、徹底した細部の描写と写実を取り入れた近代日本画で、次第にインパクトのある装飾的なイメージを用いるようになりました。

 

畳の目1つひとつを精緻に描いた作品もあり、その写実性は賛否両論を呼びました。

東京を拠点に活動していた速水御舟の作品、特に初期作品の中には、残念ながら関東大震災などで焼失してしまったものもあります。

 

「炎舞」1925 

他にない世界観と確かな表現技法が結実して生まれた

「炎舞」は、国の重要文化財に指定


 東山魁夷(ひがしやまかいい)

横浜生まれ、神戸育ちの、昭和を代表する日本画家です。

主に風景を題材に、単純化された画面構成を用いた独自の日本画表現を極めたことで知られます。

まるで絵本の1ページのようにシンプルな構図でありながら、風景に見る者の心が投影されるような精神性のある画風は、日本国内のみならず海外でも高く評価されています。東山魁夷の日本画に登場する森や湖、白馬、残照といったモチーフは、どこか無国籍な印象を与えます。

 

「緑響く」1982

テレビコマーシャルにも登場し一躍有名になった「緑響く」

信州の自然の美しさをモチーフに制作した幻想的な日本画

 


平山郁夫(ひらやまいくお)

広島県出身の日本画家です。

東京美術学校に進学したのち、前田青邨に師事して近代日本画を学びました。

中学生の頃、第二次世界対戦中の広島への原子爆弾の投下により被災し、一時は原爆後遺症による白血球の現象で死を覚悟したことから、命と向き合い、仏教を題材にした日本画も多く描いています。教育者としても知られ、ユネスコ親善大使に任命されたほか、中国の仏教遺跡の修復事業において日本画の岩絵具の重ね技法を指導するなど、技法の伝承や人材の育成でも活躍しました。

 

「砂漠を行くキャラバン」2005

41双の対になった日本画で、月の出る砂漠、

朝焼けの砂漠をひっそりと進むキャラバン

 


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